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ぼくらはみんな「ハッカー」だ〜プログラミング教育と21世紀を生き抜くマインドセット〜

2020年から始まる小学校でのプログラミング教育必修化で、子どもたちの「学ぶ」はいかに変わっていくべきか? そして、これからの情報環境を生きる彼らに必要なマインドセットとは何か。デザインイノベーションファーム・Takramのディレクターを務める緒方壽人と、15年以上にわたってメディアリテラシー/美術教育を手がけてきたミュージアムエデュケーターの会田大也が語る。

左:緒方壽人(Takram) 右:会田大也(ミュージアムエデュケーター)

「プログラミング的思考」は役に立つ


──2020年から小学校でプログラミング教育が必修化されることになりましたが、子どもたちにプログラミングを教えるにあたって何から考えればいいかわからない、という人も多いと思います。

緒方:そもそも、プログラミング教育必修化という話自体に誤解が多いと思っています。プログラミング教育とは呼ばれていますが、決して「プログラミング」という授業が新しくできるわけでも、コーディングスキルを教えるわけでもありません。そうした基礎的なところもまだまだ知られていないような気がして。

会田:たしかに。

緒方:文科省の学習指導要領を見ると、基本的には「論理的思考を育ていく」ということが目的として書かれています。そのためにプログラミングを使っていこうということです。また「プログラミング」という授業ができるわけではなく、あくまで総合学習のなかで、国語や図工、算数といった科目のなかにプログラミングの要素を入れながら学んでいくことになっています。

会田:論理的思考力を学ぶのは、国語や算数、理科でもできることです。ただ、遠くに見える目標を分解して一連の手順を組み立てていく、という思考方法は、プログラミング特有のものかもしれないね。

緒方:プログラミング「的」思考ということですよね。

──プログラミング「的」思考とはどういうものでしょうか?

緒方:学習指導要領には「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」と書かれています。

会田:つまりA地点からB地点に行くときに、まっすぐ進めればいいけど、もし中間に池があったらどうやって避ければいいの?ということを考えるための思考ということですよね。

緒方:この思考自体は役に立つものだし、決してコンピューターに仕事をさせるときだけでなく、人にお願いして何かをやってもらう、あるいはどうやったら周りの人を巻き込めるかを考えるといった場面でも必要になるスキルだと思っています。
だから、将来的に職業としてのプログラマーを増やすことよりも、「プログラミング的思考」ができる人を増やすことがプログラミング教育必修化の目的になります。プログラマーにならなくてもその思考力は役に立つし、これからの時代に必要な能力であるということが、もっと共有されるべきだと思いますね。

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会田:プログラミング教育を受けるメリットとして、世の中の問題の細かいところにまで気づけるようになるということはありそうですよね。似たような話で、美術大学を受けるにはデッサンが受験科目としてあるのですが、それはやはり、プロフェッショナルとしてアートに関わるためには「微細な差異を見出す力」が求められるからなんですよね。
同じように、プログラミング教育を受けるということは、思考の雑さを取り除くためのトレーニングになると思うんです。プログラミングを学んだあとでは、「とにかく気合いでゴールに向かって突き進めばいいんだよ!」みたいなことは言いづらくなる(笑)。

緒方:プログラミングと聞くと、ただ構想されたものをコンピューターがわかる言語に書き直す作業のように思われているところがありますが、プログラマーのポール・グレアムは著書『ハッカーと画家』のなかで、ハッカーにいちばん近い職業は画家だと言っているんですよね。プログラミングとは、「構想しながらつくる」プロセスを経ながら思考を深めていくことであると。

会田:考えながら手を動かし、手を動かしながらまた考える──それを行ったり来たりしながらものをつくっていくということだよね。ただプログラミングがこれまでの図工と違うのは、失敗してもつくったものがなくならないこと。履歴は残るし、友だちがつくったものを再利用することもできる。自分のつくったものをほかの人が改良していくという体験はオープンソースカルチャー独特の喜びでもあり、その経験も含めてプログラミングはおもしろいと思っています。

出会い方次第で興味は変わる

──実際にはいま、どのようなかたちでプログラミングの授業が行われているのでしょうか?

緒方:ぼくは子どもが渋谷区の小学校に通っているのですが、すでにプログラミングを取り入れた授業を先取りしてやっています。ちょうどこの前の授業参観でその授業を見たのですが、1人1台タブレットをもって、「Scratch」(編集注:MITメディアラボが開発したプログラミング学習環境)に似たビジュアルプログラミングツールを使って、それぞれが自分のペースで課題に取り組んでいました。

会田:総合学習の時間のなかで学ぶことのメリットは、成績とは異なる成果を設定できることですね。ただ一方で、何を達成したら「プログラミング思考」を手に入れたことになるのかは曖昧だし、できる子とできない子がその差を広げたまま進めていくことにもつながってしまいます。

緒方:ビジュアルプログラミングツールを使うことの、いい面・悪い面もありますよね。「命令をする・実行する・結果が出る」という基礎的な流れを学びやすいというのは、確かにはじめの導入としてはいいと思います。ただ一方で、ビジュアルプログラミングでほかの人がつくったコードを見ると、すごく複雑に見えてしまう。テキストコードに比べて、命令の読み下し方の難易度が高くなってしまう部分もあるんです。

会田:「いいソースコードは人間が読んでも読みやすい」とよく言われるけど、ビジュアルプログラミングだと見た目的に複雑になってしまうんですよね。

緒方:これからの時代に、職業としてのプログラマーのあり方がどう変わっていくのかはわかりませんが、少なくとも現状では「コードを書く」ことがプログラマーには求められます。そうすると、ビジュアルプログラミングでの教育が普及すればするほど、実践に必要なスキルとの乖離が広がっていくという懸念もあります。

会田:ビジュアルプログラミングでもベースとなるリテラシーの底上げはできると思うんです。小さな命令の組み合わせによって大規模なソフトウェアが提供されていることを知ることは大切です。ただし、実際に優秀な職業プログラマーが今後沢山出てくるかと聞かれると、そこはあまり期待しすぎない方が良いかなと思っています。

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──義務教育化を進めるにあたって、注意すべきポイントはありますか?

会田:義務教育化によって、プログラミングが嫌いになる層が一定数いるんじゃないかと言われることもあります。現時点では成績を付けないことになっているけれど、いずれ評価対象になってくると「ぼくは向いてないから」と思ってしまう子も出てくると思うんですね。その理由は単純に先生の教え方が良くない場合もあって、簡単に優劣を付けてしまうとその先の可能性を奪ってしまう場合もありますよね。もちろん同じようなことは他の教科でもあって、数学の先生の教え方が悪かったせいで「自分は文系だな」と思い込んでしまった人も多いと思うんです。

緒方:とはいえ、嫌いになる人がいるから数学を教えないのかというとそんなこともない。

会田:一人ひとりの生徒の思考のパターンがちょっとずつ違うから、理想的には先生が一人ひとりに合った教え方ができると良いんですけれど。

緒方:本当にそうなっていくべきですよね。一人ひとりに合った教え方ができるように、教材にももっとデジタルの力を活用していいと思います。それこそAIによって、個々人に最適化された教材をつくることもできるようになるかもしれません。

会田:ただ結局のところ、学校のプログラミング教育はごく短い時間でやらなくちゃいけないものになります。なので、週に数時間程度の枠のなかでうまくできなかったからといって、子どもたちには「自分はプログラミングができない」と思い込まないでほしい。ぼく自身も学校の授業でコーディングを習ったときは全然わからなかったんだけど、ある本と出会ったことでプログラミングを好きになることができました。自分に合った教え方、学び方とのマッチングが生まれればいいなと思います。

テクノロジーとハックマインド

──今後はプログラミングを学ぶために家でも教室でも1人1台タブレット端末をもつのが当たり前になってきそうですが、YouTubeばかり見てはいないかなど、デジタル環境との接し方に不安になる親御さんも多いようです。

緒方:ぼくも自分の子どもにどう伝えればいいか常に迷っていますし、正解はわからないです。デジタルテクノロジーに触れ続けた結果、子どもたちの人生はどうなるのか。その結果が出るのは何十年も先の話ですし、そもそも答えすら出ないかもしれません。
ただ個人的には、ゲームというものがもっと社会のなかでうまく使われるべきだと思っています。もちろん使い方を間違えば中毒にもなってしまうものですが、裏を返せば、ゲームにはそこまで人を熱中させる何かがあるということです。そうしたゲームの力を、リアルの世界にも引き出すことができたらおもしろいんじゃないかなと。

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会田:Apple創業者のスティーブ・ジョブスが自分の子どもにiPadを触らせる時間を1日1時間に決めていたという話があります。でも、それは決してiPadを使うこと自体がダメということではなくて、子どもが育っていくなかで「ほかにも楽しいことがあるよ」と教えてあげたかったからだと思うんです。食べ物で例えると、いくら身体にいいからといってほうれん草のみを食べ続けていたら健康を害するように、触れる情報にもバランスが必要ということです。
ただ、たとえば海に育つ子どもが海のことに詳しく、山に育つ子どもが山のことに詳しいように、現代の社会において、デジタル情報のなかで育つ子どもはそうしたメディアについて知っているべきだと思います。デジタルツールも子どもたちにとっては生まれた時から身の回りにある、ただの環境のひとつでしかないんですよね。

──プログラミングを学ぶ理由のひとつは、AIがますます社会に普及していくなかで、ブラックボックス化しがちなテクノロジーの裏側を知ることでもありますよね。

緒方:「AIに仕事を奪われる」といった漠然とした不安をもつ人も多いと思いますが、その裏側で起きていることが少しでもわかれば、少なくとも知らずに恐れることはなくなるのだと思います。たとえばディープラーニングでいろいろなことができるようになっていますが、それも簡単に言えば、情報を入れると何かしらの結果が出てくる「脳の構造の一部を模したネットワーク」でしかない。そうした概念への理解があるかないかだけでも、テクノロジーに対する姿勢はだいぶん違ってくると思うんです。

会田:「恐れ」という話でいえば、法律も英語では「code」と呼びますが、その法律が誰の意志でつくられ、どんな影響力をもっているかということも、ぼくらはなかなか読み下すことができていないわけですよね。ルールを前に「守るか・破るか」の議論をするのではなく、「このルールを現状にフィットさせるには、どう変更すれば良いか」と考えていくことの方がよほど創造的ですよね。つまり、中身をちゃんと知ることの難しさと、面倒だからといって無根拠に信じてしまうことのリスクが存在するという話は、テクノロジーにも、法律のような社会のルールにも当てはまるものだと思うんです。

緒方:政治も、自分たちの"命令"を叶えてもらうために代表を選んで"遠隔操作"をするのは、ある意味ではプログラムを実行しているといえるかもしれない。社会のあらゆるものごとは手続きの連続によってできていて、それも自分たちの手で書き換えが可能なんだと知ることは大事ですよね。

会田:そうそう。シリコンバレーの若者たちがもつ「不都合があったら変えればいいでしょ」という楽天的なノリで、コンピューターのコードと同じように、ぼくらは社会の仕組みすらも改良することができるんだと信じること──そうしたマインドをもつことが、これからの時代にはますます必要になってくるのかなと思います。


INTERVIEW BY ARINA TSUKADA
TEXT BY YUTO MIYAMOTO
PHOTO BY TATSUYA YOKOTA

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